ゼロから売れっ子占い師になるためのメソッド 第3回

今年で占いを始めて14年目になる筆者が、ゼロから占い師を目指す人のためへのメソッドをレクチャーするコラム。地方アーケードの路上でワンコイン(500円)占いからスタートした経歴の持ち主ゆえの、占い師として活躍するための誰でもできる方法論を拙著より抜粋し余すことなくお伝えいたします。今回は第3回「筆者のエピソード~サロンをオープン~」についてご紹介いたします。

恐れと克服、そして…

その後、サロンをオープンしたものの、
当初は全く人が入らず、オープン一ヶ月後の売上は

なんと!!!

「3500円」

でした。

路上だったからうまくいったものの、
サロンとなると話は別。

どこの誰かわからない人の所に行くのは、
女性に限らず誰だって恐ろしいものです。

そこで、思い切ってHPやブログを開設しました。

初めはブログの書き方すらわからない私でしたが、
助けてくれる友人のお陰でHPのつくり方なども学んでいきました。

しかし、一日あたりの訪問者数は
6人や9人とかなり少なく…

そこで、とにかくHPに人を呼ぼう!ということになり、
自分の顔写真や本名、プロフィールを思い切って出しました。

みんなにちゃんと真剣に占い師としてやっているということを
信頼して欲しかったからです。

そして、占いの記事も書きました。

・「12星座別恋愛運」から
・「12星座別おでん」
・「12星座別ヘアスタイル」etc…

なんでも良いから、とにかく書きまくった記憶があります。

オープンして1ヶ月後、

その記事が、なんと東京のライターさんの目にとまり、

マイスピ(現Glitty)という占い総合サイトに掲載されることになったのです。

今でも忘れないその記事のタイトルは

「2011年LOVE運強化占い」です。

それを皮切りに、HPに100人以上もの人が集まるようになり、
お客様も口コミで少しづつ増えて行き、

半年後には鹿児島県の美容雑誌「mio」で
半期の占いを書かせていただくことになりました。

その本を持って、初めて実家に帰った時の親の表情は、、、

今でも忘れられません。

子を思う親の気持ちはこんなに深いものかと、
つくづく感じました。

鹿児島を制し…東京へ飛翔

その後、さらに半年経って、鹿児島県の情報誌「TJカゴシマ」にて
毎月の占いを監修するようになり、TV局のオファーも来ました。

そして産経新聞や他のテレビ局にも出演し、
サロンオープンして2年で全局を制覇しました。

実質、鹿児島でナンバーワンの若手占い師として
活動していたと思います。

その間、ここには書ききれないくらいのドラマがあるのですが、
それはまた別の機会に^^

そして、運命が変わった第二のきっかけ…

「占いアプリの監修」

です。

ある日突然・・・

赤坂のアプリ会社さんから連絡が来て、

「先生のアプリを制作しませんか?」

とお声がかかったのです。

私は始め、

「ああ、有料なんですよね?
 私は広告には一切お金をかけない方針なので…」

と、お断りしたところ・・・

「いいえ、無料です。
 それどころか監修の費用をこちらがお支払いします」

と言われました。

ビックリしたのですが、
ひとまず落ち着いて中身のロジックや占いを作り、
先方にデータを渡しました。

そのことを忘れかけていた2ヶ月後…

先方さんから連絡がありました。

「脇田先生!先生のアプリが
 100万人からダウンロードされました!」

「しかも、日テレ『Pon!』やTBS『王様のブランチ』でも
 紹介されています!」

…私は、目がテンでした。
(冗談ではなく、本当にテンだったと思います。)

それをきっかけに、勢いのあるまま自費で書籍を一冊書いて、
東京へ上京したのでした。

自分の本200冊と17万円を握り締め…。

つづく。

(脇田尚揮/ミンストレールグループ代表理事)

株式会社 ヒューマン・ライフ出版 代表取締役 ミンストレールグループ 代表理事 株式会社 人とくらしラボ 取締役 占い歴15年、心理カウンセラー、首座僧侶、企業危機管理士 現在30社の取締役・顧問を務める。

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