シニアの豊かな暮らしを応援する情報番組「吉川美津子のくらサポラジオ」では、日本いのちの花協会 代表の宮田さよ子さんにお話を伺いました。
認知症のある人を介護の現場で看取る。
日本の草分け的存在として実践を重ねてこられた熱い思いを語っていただきました。
認知症の方の最期の看取りをするホームを運営
最初に宮田さんのご自身のことからお伺いしました。
「私は看護師で、今年70歳になりました。
40年以上看護師をやっておりますが、ほぼ30年前から認知症の方の最期の看取りまでをするホームを運営してきました。
ホームでは、お医者さんには協力をしていただくという形で往診をお願いし、看護師とケアワーカーが中心になってお年寄りの最期を看取るという仕事を続けております。」
ホームを運営することになったきっかけ
30年前というと、介護保険が始まる前です。
草分け的な存在です。
早くからそこに注目されていた、いきさつについてお話しいただきました。
「ホームへルパーさんの制度ができたのがちょうど30年前なんですね。
平成元年。
その頃に、私は講師としてのお仕事を頂きました。
そこがスタートだったと思います。
それまでは20年ほど病院勤務を続けておりましたので、リハビリについてや、病院の食事というものはお年寄りにとっての楽しみと薬である、という考え方を持っておりました。
そこを中心に認知症の方の最期の看取りまでをするホームが出来るのではないかと思いました。
お薬や手術に対応しかねるような状態のお年寄りの最期が、なるべく安らかであるように、癒された状態で最期を迎えていただけるように、という願い。
そういったホームを作るために悪戦苦闘しながら今日にいたっております」
介護保険が始まる前の高齢者の最期とは
20年前というと、病院でお薬をたくさん投与して、亡くなっていくというイメージがあります。施設で看取るという取り組み自体ほとんどなかった時です。
「当時、大熊一夫さんというジャーナリストの方が週刊朝日ルポを発表されました。
高齢者の最期を、病院などで身体拘束や点滴・輸液そうゆうものにつながれた状態で最期を迎えている方のルポを“ルポ老人病棟”という形で発表されたんです。
非常に厳しい現実。
でも、それが実体だった。
それが普通だったんですよね、当時は。
それをみんなで仕方がないという言葉で受け止めたり、やり過ごしたりしていたわけです。
病院というところは何も悪意はなくても、そういう場所です。
たとえば車だったら修理工場です。
修理してもう一回走らせるようにするための努力を続けておられるのが病院です。
私もそれを病院で垣間見ることもありましたが、私に出来ることはそういう形ではないと思いました。
高齢者、人間はいつまでも走り続けることはできないのです。
人間の尊厳を大事にするような最期を、と。」
京都在宅系研究所での取り組み
「最初は京都在宅系研究所で、ヘルパーさんたちと一緒にスタートいたしました。
ヘルパーさんたちと一緒に、病院で最期まで管だらけになったり、人間扱いをされない最期を迎えられるのではなく、最期まで人間らしいお世話をする取り組みをしようということでスタートしました。」
ホーム運営のこだわり
ホームの運営にも、とてもこだわって取り組んでおられます。
「介護保険がスタートしてからは、人間の尊厳という言葉もさまざまな場所で多く使われるようになりました。
ただ、それを実践することをカリキュラムとして構築するというのは、中々難しい面もあると思います。
私の場合は、行政から一円の補助金も受けずに純粋な民間でできることをできる形でやってきましたので『そこは、これしかできませんから』ともし私が言えば、その段階で私の仕事は終わりになります。
ご利用者から全面的にお金を頂いて、この仕事を立ち上げて続けてきました。
他の施設と違うところは、職員への教育です。
それが違わなければ、皆様わざわざ私にお金を渡していただくということはないと思うのです。
在宅で死にたいと言われる方は多いですが、在宅の限界というのはあります。
医療ニーズが高まったり、介護をするご家族がおられなかったり。
そういう意味で、ホームではすばらしいスタッフが揃っています。
さらに、孤独にしないという考え方も取り入れてます。
孤独にしないということは、おそらく施設はどこもそういう要素を持ってらっしゃると思います。でも広い個室にお一人ということもあると思うのです。
そういったことにこだわって職員への教育を行っています。
他にも医療ニーズへの対応が他の施設と異なるところです。
医療ニーズは、私が看護師であったということもあってお医者さんと本当にいい連携ができています。
在宅と施設と病院のいいとこ取りをしながら頑張ってきたということでしょうかね。
それでご利用いただけていると思います。
自称看取りババです。」
著書「私は高齢介護請け負い人」について
“私は高齢介護請け負い人”という、今までのご経験を書かれた本も執筆されています。
「私の仕事の仕方が今までになかったので、『何故こういう仕事をするのか?』という疑問を多くの方から投げかけられ、本を執筆することになりました。
“育児の百科”で有名な松田道雄先生に『実は私は祖父母に育てられました。その祖父の教え、祖母の教えはこうゆうことでした』と申し上げた時に、本を書くのだったらぜひそこから書くといいですよと教えていただきました。
私の生い立ちに、私自身もはじめてスポットライトを当てるという機会をいただいたのです。
一人ひとりのいのちの花が最期まで踏みにじられないケアをしたいということで、本のタイトルを決めました。」
いのちの花協会 会員カードについて
いのちの花協会では、“いのちの花会会員カード”というものがあるそうです。その「カードについてもお伺いしました。
「カードの記載内容は、三つ。
一つ目は、死ぬときのことだけではなくて、よく生きるという意味も込めてお医者さんたちに『私は暖かく支えて欲しい』というメッセージにしました。
二つ目は介護保険がスタートした時に加えたもので、『人間的に大切にするようなお世話をお願いしたい』ということ。
それから三つ目。
これが皆さんがもっとも興味をお持ちのことである、延命治療、いわゆる24時間の点滴や人工呼吸器とか人工透析のことです
助けて欲しくない時でも、救急車で運ばれてしまうということが、今話題になっています。
認知症で厳しい状態にありながらも病院に行くということは、延命治療をお願いしに行くということです。
何もしないでくださいと言ったら、帰ってくださいと言われるわけですよね。
その時に慌てなくてすむためのカードなんです。
ご家族とも、そういったことを話し合ったり合意をしておいたりという心の準備を表記した、本人の意思を表明するカード。
これがあることによって医療機関もあのそのように対応してくれるというのが現状です。
現在会員の方は全国にいらっしゃいます。」
宮田さんの理念
今まで30年以上ずっと積み上げこられたものが、職員の研修用の資料といったものなどたくさんあると思います。こういうものを、もっともっと皆さんに知っていただきたい、勉強していただきたいと思います。
「私の理念は三つあります。
一つは人間の尊厳を守るということ。
二つ目は実践。それをいうだけ発表するだけ書物にするだけじゃなくて、それを実践するという取り組みをしています。
それから三つ目が、その実践で得た知識や技術・経験を皆様に提供するということです。」
今後の活動について
「これからは、家族がいなくてお一人暮らしの方がどんどん増えます。
お子さんがいようといまいと在宅で孤独死というのが珍しくない時代になっています。
それを、ただ嘆き哀しむだけじゃなく、仲間を作りながら、なんらかの形で『そんなに心配しないでも死ぬことができる?いいな』と安心して、そしてギリギリまで頑張れる、そんな自分たちでいたい。
最期の看取りをするための講習会や最期を安心して迎えられるための会を広めたいと考えています。
他にも、
『介護の人材が不足を超えた縮小や倒産といった介護業者の方の状態をどう切り開いていくのか?』
『若い人たちに何をどうアプローチしていくのか?』
といった問題をみんなで考えていきたいです。
絶対なんとかなる!という気持ちが今は強いです!」
1月20日、京都市左京区の日本いのちの花協会の施設で講演会が開催されました。
多くの方にこういった講演会などに参加していただきながら、一緒に勉強し、理解し、実践し、広めていくというような動きに繋げていきたいです。
日本いのちの花協会 代表の宮田さよ子さんのラジオ出演は動画でも配信しています。ぜひご覧ください。
吉川美津子のくらサポラジオ ゲスト:宮田さよ子様 第66回
日本いのちの花協会の施設「花の家」の詳細は
シニアの暮らし応援ポータルサイト「楽々くらサポ®︎」サイト内事業者ページをご覧ください。