前回のコラムでは、終活は「日常生活の延長線上にある」というお話をしました。
もう少し実例を見ながら、終活の必要性を身近に感じていただければと思います。
お盆の出来事
1990年代半ば、とある片田舎、母の実家でのこと。
当時、大学生だった私。
幼少のころは「長期休暇は家族と帰省」という慣習に則っていたが、中学生・高校生時代は忙しく、しばらく遠ざかっていた母の故郷に久しぶりに帰省していた。幼少のころを思い出しつつ、昔の通り、穏やかな休暇期間を送っているものだと思い込んでいた。
かつて、お盆になれば親族は大集合して、お墓参りだの、会食を行っていた。
今年も「ゆっくりと時が流れ、いつもながらの田舎のお盆休み、いとことの楽しい時間がいつまでも続けばいいなぁ」とのんびりしていたが、それもつかの間。今年だけは、どうやら様子が変だ。
夕食後。
母の兄弟姉妹が神妙な顔で床の間に集合する。
祖母も中に入っていった。
私を含めいとこたちも一切その空間に入れない。
床の間のふすまはぴしゃりと閉められる。
障子に耳を当てて中の様子を…とも思ったが、声がボソボソとしか聞こえてこなく、なにをやっているのか全く分からない。さすがにいくら私が鈍感だとは言え、物々しい雰囲気だということだけはハッキリと伝わってくる。
そしてそこから程なくして、なんと驚いたことに罵声が飛び交うようになる。
「親族同士で?」、「罵声?」
もう何のことなのかさっぱりわからず、不安だけが募り始めていった。
が、それを機に約20年の時を経て、私にも関係のある事案になるとは、その時には全く想像すらつかなかった。
身近な紛争
もうなんとなく察しがお付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、
これがいわゆる遺産分割協議の一例です。全てがこうではないかと思いますので、あくまで一例です。
ちなみにこれは亡くなった祖父の遺産を巡っての、相続人である祖母及び子供たちとのやり取りです。
終活コンサルタントとして活動を始めてから、こういったエピソードを共有する機会も増えてきたのですが、実は私の家系は、揉める要素がいくつかはらんでいたのです。
先ほど、相続人として「祖父及び子供たち」と記しましたが、ここがちょっと複雑で、祖父と亡くなった先妻の間の子、祖父と後妻(私の祖母)の子、そして私の祖母が一堂に会することとなったのです。
つまり子供たちは、全員、祖父とは血がつながっているもの、祖母とは全員がつながっているわけではない。
そして、先ほどの床の間には、本当は入るべきではない(相続人ではない)相続人の配偶者も同席してしまったのです。
加えて、遺言書はありませんでした。
紛争回避に必要な事とは
さて、この出来事。
本当はどうしたら、紛争は回避されたのでしょうか。
前回も言いました、遺言書です。
それが有効に働いていれば、たぶんもっと展開は違っていたかと思います。
先妻と後妻の間の、子としての関係調整は、個々人の尽力に期待するだけではかなり難しかったように思います。
そういった心情的な面のしこりは多少なりともあるにせよ、実質的な紛争を回避してくれるのが遺言書となります。
あの出来事から20年以上が経過し、その時の当事者の何人もの人たちが旅立ちましたが、もし、遺言書作成という手段をとることを事前に知っていれば、生前の祖父とどんな会話をしていたのだろうかと時々思い起こします。
まとめ
あくまでこれは一親族の例ですが、貴方のご家族にとって、家系図を今一度眺めてみたとき、どなたかのエンディングが発生したとしても、本当に円満にバトンリレーは進みそうでしょうか。
今一度、厳しい目でチェックしていただき、少しでも不安要素がある場合には、是非、「生前みんなが元気なうちに」、あえて話題に出していかれることをお勧めします。
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