遺品整理の業者は男性がほとんどです。
それは元々『遺品整理』という業種ではなく、産業廃棄物処理や事故物件の特殊清掃などをなさっていた業者さんが多いからです。
他にも買取屋さんや便利屋さんから遺品整理屋になった方などもいらっしゃいます。
そんな中、私が遺品整理・生前整理に特化した理由は『祖父母への想い』からでした。
遺品整理屋になったきっかけとは
私は前職で4年、女性専用の体操教室でシニアの方と触れ合っていたにも関わらず、人様の死に直面したことはありませんでした。
しかし、祖母がなくなり、祖父が後を追うように亡くなった時にはじめて人の死を自分の身近なこととして感じたのです。
それまでいかに健康で人生を全うするか、そのサポートをしてきていながら、死後の事をまったく理解していませんでした。
祖父母は互いに認知が進んでいましたが、8歳年上の姉さん女房の祖母を祖父が支え、他人が入ることは難しい程とても仲睦まじい2人でした。
ある日の夜中、祖母が心臓麻痺で電気カーペットの上で倒れて亡くなりました。(永年81歳)
祖父が、祖母が亡くなった事に気付いたのはその翌日の夕方でした。
ともに暮らしていながら、半日以上も気付かれず電気カーペットの遺体は腐敗が進みました。
そんな事があった自宅でも、祖父は離れませんでした。
亡くなった祖母の体液が残ったままでも…。
そんな生きがいを無くした祖父は認知がドンドン進み、10ヶ月後にあとを追うように亡くなりました。
祖母の遺品整理もおいおいやっていこうとしていた矢先に祖父は73歳で亡くなってしまったのです。
2人のいなくなった空き家をそのままにするわけにもいかず、2週間で退室がきまりました。
しかし、2人の愛の巣には、大量に物が溢れていたのです。
完璧に綺麗にするまでに4日以上。
その間、軽トラックに何十個もの衣服やバックなどの装飾品を詰め込む作業の繰り返し…。
仕事を休むにも期間が取れず、とにかく淡々と作業してしまいました。
物があり過ぎて、どれにどんな想い出があったのか、後になってはわかりません。
大好きだった祖父母の想い出に残っているピアスもリップも見つけられませんでした。
それがとても悲しかった。
そして、ただ数枚の写真だけ形見として持って帰り田舎を離れました。
そんな作業だけの遺品整理に後悔だけしか残りませんでした。
持ち主を無くした物の価値とは?
きっと祖父母の家にあった遺品はそれぞれ素敵な想い出があったのだと思います。
しかし残された私たちにはわかりませんでした。
だからこそ、もっと早く話を聞いておいてあげれば良かったと後悔しました。
私は祖父母の物に溢れた生活を見て、物は価値を見出す人がいなければその物の価値は無くなってしまうのではないか?と考えました。
そこからストレス発散で物欲を満たす事はやめ、価値あるものだけ、受け継げるものだけを持とう。物は少なくていい。と考え方が変わったのです。
それでも昔から溜め込んだものはまだまだ減りません。
あらためて、どれだけムダな買いだめをしていたのかと痛感しています。
人はいつ死がやってくるかわからない。
だからこそ、残された人の気持ちを考えてあげなきゃいけない。
遺品にしても、財産にしても。
私はこれからも価値あるものを遺していける人になっていきたいと思います。
遺品整理ではなく、生前に済ませられることがあるのではないか?
私は精神的にも体力的にも大変な遺品整理を、生前に一緒に出来たのではないかと感じたのです。
そうすれば、想い出の品を想い出ごと受け継ぐことができたと。
また、祖母が先に亡くなり、落ち込んでいた祖父をそのままにせず、一緒に遺品整理をしてあげることで気持ちの切替えにもなったのかもしれない。
一緒に想い出を呼び起こすことで、物の価値を再確認できる!
だからこそ、後悔だけの遺品整理ではなく、遺族の方と寄り添いながら整理する方法もあると考えたのです。
だからこそ私は、遺品整理・生前整理の必要性を少しでも多くの方に伝えていくことを選びました。
最後に
今後も遺品整理の現場から見えてくる現状や、介護の現場から見た生前整理のススメなどもお伝えしていきます。
国が出来ないことを民間企業が助けることで、スピーディに対応してもらえることがたくさんあります。
人に寄り添ったサービス、コミュニケーション重視のサービスは、人に関わってこそだと感じるからです。
今、だからこそ、そんな民間企業が重視されるのではないでしょうか?
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コラム筆者 松井 麻律が代表をつとめる「株式会社トカノ ハート&ハート」の事業者ページ
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